愛媛県ラグビーフットボール協会 2022.5.6
伊予鉄道電気株式会社 道後グラウンド
2022年5月6日撮影
道後温泉の周辺を歩いていたら,「左 グランド道」と刻まれた道標を発見(写真下)。ホテル椿館の付近です。
道標の裏面を確認すると昭和9年12月の設置。
戦前にラグビーのゲームが頻繁に行われていた道後グラウンドへの道を示すものと思われます。
道後グラウンドは,伊予鉄道電気㈱が建設した総合スポーツセンターで,1924年(T13)竣工,1941~1942年頃(S16~S17)まであったようです。
当時の写真はこんな感じです
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(松山東ラグビー部75周年記念誌より)
グラウンドはなくなり,いまは住宅地になっていますが(写真下),こんなところに名残が残っていたのですね。
下の画像はグラウンドの位置です(1932年(S7年)の地図)。
祝谷の常信寺の下にグラウンドはありました。
愛媛ラグビー草創期の昭和10年頃,旧制松山中学の選手は,放課後に持田の学校からランニングして道後グラウンドに行き,練習に励んだそうです。
その後,1958年の四国国体で堀之内県営ラグビー場が完成。愛媛ラグビーのメッカはこちらに移ります。
しかし,堀之内も2001年1月末に閉鎖。主会場は,1980年の「55総体」(インターハイ)の時に建設された県球技場や,1991年開設の久万高原(町)ラグビー場に移りました。
なお,愛媛で初めてラグビーの試合が行われたのは旧制松山高校(現附属小)グランドです
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(愛媛ラグビー80年より)
愛媛ラグビー今昔物語 おしまい